「令和6年能登半島地震」災害派遣後の家城先生へのインタビュー
先日コラムに掲載しました、救急科医師 家城先生が5日間の被災地での医療支援活動から帰院されました。
無事に活動を終え戻ってこられましたので、家城先生にインタビューさせていただきました。
先生はDMAT隊員として輪島市の病院で活動されました。
訪問先ではめくれあがっている路面や液状化により1mも飛び出ているマンホールなどの地震被害を目の当たりにして初日から衝撃を受けたようです。
現地では日中は主に支援先の病院の入院患者を、誰を、いつ、どこの病院に、どんな車両で搬送させるのかの搬送調整を担当し、夜間には救急外来の診察を一部担当されました。
救急外来の診察では、地震の発災から約3週後の支援活動であったこともあり、入院患者は減少傾向にあり、救急外来に重傷患者は少なかったものの
また、家城先生からは避難生活が長期化していることから被災者の方々の精神的ストレスを気に掛けるお言葉もありました。
DMAT隊員は自己完結型の医療救護を基本としているとのことですが、
しかしその内容を伺うと、幸い電気が使えお湯を沸かすことができたため持参された「カップ麺」や「非常食」を食べることができたというレベルでした。
活動中に辛かったことは、「トイレが使えなかったこと」「普段は当たり前に使えるものが使えないこと」でした。
寒い季節、地域で昼夜問わず屋外へ出て仮設のトイレへ行き、冷たい便座に座るという状況であったそうです。
「短期間ではない、長期の現地の方々はより大変な思いをされているだろう」とお話しされていました。
宿泊は病院周辺のホテルで、部屋のお湯は出ないものの大浴場は日替わりで使うことができたそうです。
ホテルでの宿泊ができない日は、病院のある一室にブルーシートが敷かれ、その上に持参したマットと配布された毛布やマットレスを使用して休まれたそうです。
被災地での医療支援活動は、「全く知らない地域で、転院調整するために通常対応していただく院内のスタッフもいない中、
家城先生、被災地での医療支援活動本当にお疲れ様でした。